最初に申し上げますが
このブログは自分語りのようなものです。
全く興味ない方は読まれない方が宜しいかと思います。
こんなものを書く目的はといえば
私の人となりを知ってもらい
1つのきっかけとしてアルチアを好きになってもらえたらと思い書き始めます。
(なるのかな…。不安だな。。。)
1983年8月17日
土沼家の次男として生を受けました。
兄は今でもとても活発な人間で
私はどちらかと言えば臆病でいつでも兄の後ろをくっついて歩いているような弟でした。
今でもそうですが幼少期は極度の怖がりだった記憶が残っています。
例えば小学生の時、学校が終わり帰宅して
家族が誰もいないことを分かってる場合
鍵はもっていますが5回くらいはチャイムを鳴らし1,2分玄関の前で待ちます。
理由は明白で。
泥棒さんが万が一いた場合
子供なんかがかち合ってひどい目に合うのは目に見えています。
泥棒さんに逃げるチャンスを与えた訳です。
(幼少期からなんて人の心を察することができる優しい子だったのでしょう)
ひとしきり時間を経過させたら鍵を開けるわけですが
無駄に玄関を3回ほどバッタンバッタン開け閉めを繰り返します。
再度、泥棒さんに逃げるチャンスを与えてみます。
(ほらー。気付いてー。逃ーげーてー。と心の中で叫んでいます。)
それでも泥棒さんもちょっと頭がおバカさんだから泥棒なんてしていると思うんです。
集中してちょっとの物音が耳に入ってきていないかもしれません。
(ちなみに、『ただいまー』なんて言えません。ビクビクしっぱなしで声なんて出ません。)
壁をバッコンバッコン叩きながら『ほらー住人が帰ってきたんだよー。気付いてー。逃ーげーてー。』
アピールをします。
とまぁ。こんだけビビりな幼少期だったりしました。
ちなみに、恥ずかしがりながらプライドは人並みに高いため
家族にこれら一連の攻防を言った覚えはありません。
そんな僕の小学生時代。
昔から、どういう訳か友達を作るのが苦手でした。
それでも今でもこれはそうなのですが人一倍の寂しがりだったりします。
いつも大体ひとりぼっちの寂しがりは
例えば休み時間にどんなことをしていると思いますか?
母親も当然、そんな次男坊の性格を把握して心配してくれたのか
いつだったか兄に探りを入れさせたようです。
『ねぇ。お兄ちゃん。隆が休み時間みんなと一緒に遊べているのか見てきてくれない?』
知らずのうちに休み時間の弟の様子を観察した兄は母親に報告しました。
兄 『あいつ、楽しそうに体育館走り回ってたよー。』
母 『えー☆うそー? お友達いたのねー。 どんな子と遊んでたの?』
兄 『いや、多分あいつ1人で走り回ってるだけだよ。周りには多分友達いないと思う。』
母 『え…。』
そう。
みんなが楽しそうにしている空間に身を置けるだけで幸せなんです。
友達が欲しいなんてそんな大それたことは望めませんでした。
休み時間に体育館に行けば誰かしら楽しそうに走って遊んでいます。
一定の距離を保ったまま一緒になって走り回るんです。
あくまで目立たないように。溶け込むように。
そんな僕は教室では
みんなどんなこと話してるんだろう?
必死に観察します。
それでも特定の誰かと話すわけではありません。
注釈を加えますが僕は幼稚園に通っている時からメガネっ子でした。
遺伝なのか視力が幼い時から悪い子どもでした。
一重という個性も相まってか目つきの悪さは昔から定評があったような気がしています。
必死に観察し続け誰とも会話しない僕をみて
小学校1年生の担任は1学期終わりの初めて配る通知表の自由記入欄に
こんなことを親に向けて書きました。
『土沼君は人を見下しているようなところがよく見受けられます。』
6歳の子供に。
ですよ?
当時の通知表を受け取り【見下す】の意味も当然知らない僕は
親にそのまま通知表を渡しました。
とっても親が悲しんでいた様子だったのを幼い記憶ながらに覚えています。
そして訳も分からぬまま親から泣きながら怒られポカーンとしたこともまた覚えています。
でも、睨んでいるような目つきの人の元に人は集まらないですよね。
ますます、ろくに人と話すことが億劫になり年を重ねていくことになりました。
中学生になる頃は、幸か不幸かまだまだ女性に興味を持つことも無く
ただ、ひたすらに図書館に通い詰め
ただ、ひたすらに片っ端から本を読破していく日々が続きます。
小学生時代に2回くらい年間で貸し出し冊数が学校で一番多い。
みたいなやつで表彰もされましたが
当然の結果なのかなと特別嬉しかったり特別な感情を持つことはありませんでした。
部活はコンピューター部に所属しました。
特段、誰と会話を強要されるでもなく。
部室に行ってフロッピーディスクでゲームをするもよし
気分が乗らなければ帰るもよし
僕にはうってつけの部活でした。
そんな風に
人に興味を持つことも無く過ぎていく中学生時代に
1つの転機が訪れます。
中学2年生になった2学期の始め
年に2回ほどある席替えでとなりになった女の子が
とても明るく元気な子だったんです。
毎日、朝は『土沼くんおはよう!』
授業中は『ねぇねぇ土沼くんココってどういうこと?』
休み時間には『いつも何読んでるの?そんなに面白いの?』
と所かまわず話しかけてくるんです。
僕の返事と言えば『あー。』とか『分かんねーよ。』とかだったはずなんですが
それでも毎日毎日、話しかけてきてくれたんです。
でもその女の子は僕にだけという訳ではなく
クラスでもムードメーカー的な子で誰にでも明るく話しかけ友達がとても多い子でした。
どう考えても僕はただのクラスメートの1人です。
当然のように純情(自称)な僕は
その席が隣のクラスメートを意識しはじめます。
今日も朝、挨拶してくれるかな。
少しでも話しができるかな。
たまに聞かれる『ねーねーコン部っていつも何やってるの(笑)?』
という質問だけは苦笑するばかりでうまく返せませんでしたが。
毎日、毎日ただ惰性で通っていた中学校に
行きたくなる意味というものが垣間見えてきはじめたようで。
と、同時にこのころから思い始めたことがあります。
・男子はガサツでうるさい(宇宙語でも喋っているのかと思うくらい何喋ってるか分からなかった)
・女子はなんとなく話しやすい(ただ誰も喋ってくれないだけ)
あれ?
女の子の方が話しやすいけどこのまま成長したらいつか詰むんじゃない?
(だってその子以外、話せる女子いないですから)
プラス
5教科が嫌いで
それ以外の手を動かすような教科が好きだった僕は
高校の選択肢を2つに絞りました。
・新潟工業高校
・新潟商業高校
この2つの高校だったらせめて友達が出来なくても
学校には通い続けられるんじゃないかと思ったんです。
選択肢は2つと言っても答えは見えています。
…。工業高校。
『ダメダメ!全然ダメだよ!工業なんかに行ったら男しかいないじゃん!地獄じゃん!』
スッと。
進路を新潟商業高校に設定して担任とは話を進めることにしました。
この頃から【美容師】って良いんじゃないかな?と思い始めます。
同世代(土沼現在33歳)の方は分かる方も多いんじゃないかと思いますが
・シザーズリーグ
・ビューティフルライフ
この2つがテレビで盛り上がっていて例に漏れずハマった口でした。
テレビの中で美容師さんはキラキラしていました。
単純な中学男子は思います。
『俺も美容師になれば目つき悪くても女子と喋れるんじゃない?』
本当に動機なんてバカみたいなもので笑えますよね。
そんなくだらない思い付きでもう美容歴13年目ですよ。
絶対、こんな軽薄な理由で美容師目指した自分がここまで続けるなんて
我ながら全く思っていませんでした。
自分が過ごしてきた幼少時代からくる性格(最悪)と
新社会人1年目、つまり初めて入社した美容室との相性が最悪過ぎて(笑)
≪最悪≫ × ≪最悪≫ = 美容師最高!まで至ったんだと思います。
13年前のパンドラの箱を開けてみよう (←長いブログですよお気をつけください。)
本当に最初の美容室のオーナーと出会えていなかったら
僕の美容師人生はクソのまま早めに詰んでいましたね。
(写真にそのオーナーはいませんが珍しく笑ってる写真だから貼ってみました)
まぁ、かくして楽しく美容師を続けさせてもらっているわけですが。
今は
お客様とスタッフと家族に恵まれて良い仕事を続けられているなと改めて思っています。
締めくくる最後の言葉としては月並みな言葉で申し訳ないのですが
『本当にありがとうございます。』
また、いつか機会があれば
はしょった高校・専門学校時代も書けたらと思いますが何か月後かな(笑)
そもそも読みたい人いるのかな(´・ω・`)