好きなものも感性も人の数だけ存在する
鬱蒼とした森の中で大きく息を吸い涙を流す人もいるだろうし
足が数多ある生物を愛でて笑みが綻ぶ人もいるだろう
そしてその各々の琴線に触れた事柄の先に表現されるものが「感想」だとするならば
五感と感情の機微を相手に伝える
心の内など本当のところは自身でも把握できていないのに
自分の持つボキャブラリーの中から厳選してどうにか相手に伝えようとする
相手あればこその愛しい表現
先日、仲良くさせてもらっている先輩と食事を共にする機会があった
その先輩は感情表現が私の数十倍あって
ナチュラルに会話の中にイングリッシュを混ぜてきたりする
それはなにも「これとてもデリシャスだね」とか生温いものではない
「It was the first time I had eaten something this delicious.」
をとても滑らかにいってのける生粋の日本人だ
その先輩はとてもワインが大好きで、というかお酒が大好きで
お酒が入るとより流暢にイングリッシュが入ってきたりする
こちとら気持ちよく酔い始めているのに耳馴染みの薄い言語がふいに鼓膜を揺らすと
一瞬で現実世界に引き戻され頭がキリリと引きしまったりする
そもそも私は日本酒や米焼酎がすきだったりするし梅干しまぜたりするし
刺身・煮物(特に最近は昆布巻きに目がない)なんかが好物なので
ワインへの造氏は皆無と言っていいくらいだ
「ドヌ」も一緒にワイン飲もうよなんてありがたい言葉を頂き
「乾杯」と言おうとしたら「cheers!」と言っていただいたので「ちあー」と返し
僕の細腕でなんとか持てるくらいのほっそい脚のワイングラスに注がれた
ワインをクピクピ飲んで「うぇっ苦っ」くらいに思っていたら
その先輩の目は薄く閉じ
やや上方と遠い未来を見ているような目になっているようになり固まった
そして非常に満足そうに頷き「エレガント」と一言幸せそうに言った
エレガントに対して見合うような感想も言えなければ、最適な返答もわからない
なんならバルサミコ酢の味のする料理よりも
しょっぱい牛丼なんかの口になってきていたのに
ただそんなことは「エレガント」の後に冗談でも口には出すことは難しかった
目の前のゼラチン質でサイコロ状の名前も分からんこの料理は
さらに半分にして食べるべきかどうかも
こちとら判断に迷っているのに
先輩はいたくご機嫌で「次のワインどうしようか?」とメニュー表を見てたら
気を利かせた店員さんが「次のお飲み物いかがですか?」なんて聞くもんだから
多少ワインについて明るいだろうその店員さんと楽しそうに先輩は話し
注文だろう語句として放ったいかついワードが以下の通りであった
「なんかさ華やかなやつちょうだいよ」
食べ物だろうが飲み物だろうが
味覚にまつわる表現として自分の引き出しに
エレガントも華やかも無かったため
こうやって人は大人の階段を昇るのかとか少しだけ酒で呆けた頭で考えたりもして
そうこうするうちに華やかな味がするだろうワインが運ばれてきて
無駄に意味ありげに普段しないグラスを目の高さまで持ち上げたくらいにして
続けて香りなんかも嗅いだりして(慢性鼻炎で匂いなんて大して分からない癖に)
でも、どうあっても自分が先に飲むわけにはいかない
だって今何よりも興味があるのはその先輩の一口目の後の感想だから
そうこうしてるうちに先輩は何回も大きく頷き
「too wide」と言った
綺麗に二度見をするところだった
まさか飲食の感想で「広い」なる表現が発動されるなんて
そして先輩の感受性の泉は枯れることなく次に湧き出た言葉を僕に浴びせた
「これフルーティーだね」
「いやだって果物やし」
反射神経とは怖いもので、思ったその一言が口から飛び出そうになった
感性は人の数だけ
だから感想だって数多あって然るべき
それは違うとか、間違ってるとか言う資格は誰にもないのだけど
感想に対する感想もまた、人の数だけあったりする
全然足りなかったので帰り道にファミマでカツ丼買って食べた
広かった