旅行に行って楽しかった記憶
喜んでもらえた記憶
嬉しかった記憶は
頑張ってみてもどうしてか儚くも消えやすい
試しにこの消極的な事実(主観)を裏返してみようと思った
まるで記憶が無いから
乱雑に記憶が薄くなっているから
何度でもまた初めての体験の様に
繰り返していたとしても
好きだと思えるし
気持ちが晴れるし
明るくなるし
愛おしいと思えるし
幸せを感じられるし
天まで突き抜ける空を気持ちよく見上げられるし
流転する人生もまた受け入れられる
ただ実際
考えてみると
仕事中や
よくある日常の一コマ
リンゴを食べながら
日々の生活の中で
よくもまぁそんなに覚えていられないものだと
悲観することがよくある
記憶は時間の経過とともに徐々に忘却していくのが一般的で
特に、覚えた直後は急激に忘却が進み
その後は緩やかに忘却が進むのが特徴だと言われている
そうであるにも関わらず
人の興味も様々であるから
当然興味が深いものは覚えていようと努力するし
繰り返し目にしたり耳にするから
記憶として定着しやすい
誰かが言っていた
「みんな違ってみんないい」とはいみじくも言い表されているなと思う
摩擦があるとしたら
「人」対「人」の関わりの中であろう
相思相愛の間柄でさえ
結局は別の人生を歩んできた中で出会って今に至るわけだから
私は彼との記憶をこんなに覚えているのに
どうして彼はあのデートを覚えていないの
となる話しもよく聞くアレである
冒頭に戻るが考え方の角度の変更にトライしてみて欲しい
こんなに彼の事を思っている「私」の事を彼は好きでいてくれるんだと
彼が「私」を好きだという事実を主観で捻じ曲げないでほしいと切に願う
好きの道筋は人の数だけあるし
彼だけにしか気づけていない彼女の良さもそれもまた多いはず
肯定するも悲観するも自身の自由なら
悲観することのマイナスがはるかに大きいことに気付くと
日々のストレスは減らせる
目の前の事実は変わらないのだから
これら全て土沼の脳内の話しであって
日々の習慣でもあったりするが
人の考えをコントロールする気もないし
それが叶わないこともこの数年とくに実感しているところでもある
まとめ
毎日みんな関わる人がハッピーだといいな☆