雨の降り始めはいつも静かだ。
音もなく空が滲みはじめ、気づけば地面に細かな輪が無数に広がっている。
そんな午後、散歩がてら歩いた近所に、あじさいが咲いていた。
紫と青、そして桃色がゆるやかに溶け合うようなその花は、どこか夢の中の曖昧な記憶と似ているなと思った。
しっとりと濡れた花びらが、静かに雨を受け止めている。
周囲に人の気配はなく、ただ雨と葉擦れの音だけが響く。
こういう時間が好きだと、私は改めて思う。
何も話さずとも、ただ時が満たされていくような、ひととき。
あじさいを見るたび、いつも幼少期住んでいたころの街を思い出す。
梅雨の季節になると、通学路に咲いているあじさいを愛でながらの登下校がたまらなく楽しかった記憶がよみがえる。
通学路の道中にある邸宅に住むおばあちゃんだろうか、この季節になるといつもあじさいの手入れをしていた。
雨に濡れるのを厭わず、小さな手で枝先を整える姿は、今でも記憶のどこかで鮮やかだ。
あじさいが咲きそろう頃、あまりにも綺麗で見とれていた私におばあちゃんは笑いながらこう言ってくれた。
「雨の日の美しさも、覚えておくといいよ」
当時は意味がわからなかったけれど、今になってようやく、その言葉の重みがわかる気がする。
あじさいの花言葉のひとつに「移り気」というものがある。
土の酸度によって花の色が変わるからだそうだ。
でもそれは、決して不安定という意味ではないと私は思う。
環境に寄り添い、静かに変化する強さを、この花は持っている。
この夏の前の季節は傘をたたんで、しばらくあじさいの前に立ち尽くすのも気持ちの良いものだ。
濡れた髪に触れる風が少し冷たくて、心地よい。
誰かと過ごす雨の日もいいけれど、こんなふうに、一人で季節と向き合う時間も、時には必要なのだろう。
新潟ももうすぐ梅雨本番の季節に入る気配がする。
鈍色の空の色は、自分の心と似ていて、見上げるとほんの少しだけ心が明るくなる。
あじさいはただ静かに、そして美しく咲いている。
見かけたら一歩止まって見てみて欲しい。