「ちゃんと」やってる?

親から、先生から、先輩から
「ちゃんと」しなさい。と言われたことはありませんか?

心理学の講座の中では「ちゃんと」という言葉は抽象的過ぎて
指導上よくない言葉の一つである。と教わったこともあります。

しかし「ちゃんと」しなさい。は耳にタコが出来るほど
世の中に蔓延している言葉でもあります。

自分では、手を抜いているつもりなんて毛頭ないし
真面目に取り組んでいたつもりでも
「ねぇ、ちゃんと考えてよ。」と言われたときのあの言葉
嫌ですよね…。

だから「ちゃんと考える」の“ちゃんと”って何だろうか考えてみることにしました。

皆さんは「ちゃんと」を上手に説明できますか?
自分の言葉で整然と説明できる方の方が少ないのではないでしょうか?
それほどに「ちゃんと」という言葉が当たり前に使われ過ぎているからです。

僕が考えたこうかな?というのも自分なりの解釈なので辞書を調べたわけでもありません。
言い訳を先にさせてもらったうえで考えを述べさせていただきますが
「ちゃんと」の本質は『注意深さ』なのかなといきつきました。

例えば「ちゃんと考えている人」は、論理的に思考することができるように思います。
それはなぜかといえば、「思考すること」にわざわざ脳のリソースを割いており
「本当にこれで筋が通っているかな?」と、立ち止まって考えているからです。

逆に「ちゃんと考えていない人」は、認知にリソースを割かず、適当に「感覚に任せて」いる。

言い換えれば、強めの言い方になってしまいますが、怠け癖に負けてしまっています。
これは他の様々な活動についても同じなように思います。

例えば床掃除。
「ちゃんと掃除する」ためには、そこに認知のリソースを割く必要があります。

・部屋を隅々まで掃除するために、まず落ちているものを片付けたか?
・汚れがちな場所から家具を移動させたか?
・角隅々まで床を掃けたか?
・もうゴミは落ちていないかチェックしたか?
・水磨きをしたほうが良い箇所はないか?

そういう事を改めて「一度立ち止まって」考えている人と、そうでない人とは、掃除のレベルが異なるのは明らかです。
この「一度立ち止まって考える思考」こそが、目的を達成させるための注意深さなのかなと思います。

つまり、物事をうまく進める人、論理的に考えることのできる人、つまり「頭が良い人」とされている人は、「注意深い」のです。
言い換えると、感覚や直感に身を任せない、というべきでしょうか。

これはもちろん、仕事で重要な「コミュニケーション能力」とも大きくかかわります。
わたしは仕事を始めた当初、社交的な方ではありませんでしたので、スムーズに接客が出来るようになるまで大変な時間を要しました。

でも、苦労して身につけた
「よく聞く」「話す前に考える」「タスクを整理する」「書く前に考える」
といった、様々な「注意深くなる」クセは、新卒から20年たった今でも、本当に役に立っています。

もはや癖のようになっているかもしれません。
時として「考えすぎだよ(笑)」と言われることも多く良し悪しはあるかもしれませんが。

そして、これは先天的な「知能」というよりは、後天的に身に着けることのできる「技術」の要素が大きいのです。

先輩となって後輩を多く持つ身となった今では「ちゃんとしなさい」とただ言うだけではなく
伝わる指導をしていきたいなと思う戒めと共にブログを終えます。

 
考えてそうな写真がちょうど見つからなかったので適当な考えてそうな写真を貼りましたが
言った傍からちゃんとしてないですね(笑)
写真は小高ですがこの記事は土沼がお送りしました-。